中文简介
足利直义(德治元年(1306年)- 文和元年/正平7年2月26日(1352年3月12日)),日本镰仓时代末期至南北朝时代初期的知名武将。他是足利贞氏的第三子,室町幕府开朝初代幕府将军足利尊氏是他的同胞哥哥。足利直义在室町幕府的建立中起着重要作用。1326年起,担任兵部重要官员,室町幕府成立后,除了持有兵权,参加多项争战外也担任幕府政所和注所的主管者等重要职务。相对于足利尊氏的"大将军",世人称直义为"副将军",兄弟二人合称"二御所"。1349年在观应之乱中失势出家,次年投奔南朝。1351年在关东被足利尊氏击败,囚禁于镰仓。翌年去世。
日文简介
1306-1352 鎌倉-南北朝時代の武将。
徳治(とくじ)元年生まれ。足利貞氏の子。兄尊氏とともに建武(けんむ)政権樹立に貢献。建武2年中先代(なかせんだい)の乱に際し護良(もりよし)親王を殺害し,建武政権と決別する。室町幕府創設後は尊氏を補佐。のち執事高師直(こうの-もろなお)と対立し,尊氏とも不和となる(観応(かんのう)の擾乱(じょうらん))。一時和睦(わぼく)したが,尊氏とたたかって降伏,観応3=正平(しょうへい)7年2月26日鎌倉で死去。47歳。毒殺といわれる。初名は忠義,のち高国。通称は三条殿,錦小路殿。法名は恵源。