中文简介
井伊直弼(いい なおすけ;1815年11月29日 - 1860年3月24日) 是日本的近江彦根藩主、江户幕府末期的大老。1858年4月23日即位,他最著名的事迹是与美国签订日美修好通商条约,赋予美国商人与海员治外法权,并开放港口。1860年在樱田门外被倒幕志士暗杀。原来取下直弼首级的是萨州脱藩志士有村次左卫门,他被小河原砍中以后伤势甚重,自知性命难保,在辰之口的若年寄远藤风统邸宅前放下直弼的首级,切腹而死。这次事件史称“樱田门事变”,井伊家的卫士被当场打死的有河西忠左卫门、泽村军六、加田九郎太、水田太郎兵卫四人,重伤后死的有日下部三郎右卫门、小河原秀之远、岩崎德之进、越石源次郎四人,其他负伤的有十多人。
日文简介
1815-1860 幕末の大名。
文化12年10月29日生まれ。井伊直中(なおなか)の14男。兄直亮(なおあき)のあと,嘉永(かえい)3年近江(おうみ)(滋賀県)彦根藩主井伊家15代となる。安政5年大老。13代将軍徳川家定の継嗣問題や,開国か攘夷(じょうい)かで前水戸藩主徳川斉昭(なりあき)らと対立。日米修好通商条約を勅許をえずに調印,将軍継嗣を和歌山藩主徳川慶福(よしとみ)(のち家茂(いえもち))にきめた。一橋慶喜(ひとつばし-よしのぶ)を推して反対する斉昭ら一橋派や尊攘派を弾圧(安政の大獄)したため,桜田門外で安政7年3月3日水戸・薩摩の浪士らに暗殺された(桜田門外の変)。46歳。号は宗観(そうかん)。著作に「茶湯一会集」など。
【格言など】抑(そもそ)も大政は関東へ御委任,政を執る者臨機の権道なかるべからず,然(しか)りと雖(いえど)も勅許を待(また)ざる重罪は甘んじて我等(われら)壱人(いちにん)に受候(うけそうろう)決意(「公用方秘録」)