中文简介
板垣退助(いたがき たいすけ, 生于天保8年4月17日(1837年5月21日), 死于大正8年(1919年)7月16日,日本第一个政党自由党的创立者。明治维新的功臣之一。 板垣以自由民权运动的主导者的身份而著名,以“庶民派”的政治家身份而拥有绝大多数的国民的压倒性支持。 1887年被封为伯爵。 在战后日本政府发行的100日元纸币及50元政府纸币上都绘有他的肖像。 今日日本国会前还有其铜像以纪念这位日本民权运动家。
日文简介
1837-1919 幕末-明治時代の政治家。
天保(てんぽう)8年4月17日生まれ。土佐高知藩士。戊辰(ぼしん)戦争で総督府参謀をつとめ,明治4年新政府の参議となる。6年征韓論をめぐって大久保利通らと対立し,西郷隆盛らとともに辞職。翌年民選議院設立建白書を提出。帰郷して立志社をおこし,自由民権運動を指導した。14年自由党を結成して総理。24年再結成された自由党の総理。29年第2次伊藤内閣の内相。31年大隈(おおくま)重信と隈板(わいはん)内閣をつくり,内相。伯爵。33年政界を引退し,社会改良運動につくした。大正8年7月16日死去。83歳。初姓は乾(いぬい)。
【格言など】われ死すとも,自由は死せず(明治15年,刺客に斬りつけられて)