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橘奈良麻吕,约生于721年(养老7年),卒于757年7月(天平宝字元年七月),是奈良时代的贵族,左大臣橘诸兄之子,官至正四位下参议,赠正一位太政大臣。
日文简介
721-757 奈良時代の公卿(くぎょう)。
養老5年生まれ。橘諸兄(もろえ)の長男。母は藤原多比能(たひの)。参議,兵部(ひょうぶ)卿を歴任。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)9年,黄文(きぶみ)王や大伴・佐伯・多治比氏らとともに藤原仲麻呂を暗殺し新帝をたてようと計画したが,発覚してとらえられ,獄中で没した。37歳。
【格言など】東大寺を造りて,人民苦辛す(とらえられ,きびしい尋問に対して)