中文简介
丰臣秀吉(日语:とよとみ ひでよし;1537年3月17日-1598年9月18日),原名木下滕吉郎、羽柴秀吉,是日本战国时代、安土桃山时代大名、天下人,著名政治家,继室町幕府之后,首次以天下人的称号统一日本的战国三杰之一。丰臣秀吉是尾张国爱知郡中村乡贫苦农民家庭出身,本是足轻(下级步兵),后因侍奉织田信长而崛起。本能寺之变后,在织田氏诸家臣内部斗争中胜出,成为织田信长实质的接班人。天正十三年(1585年)担任关白,后担任太政大臣,获赐氏姓丰臣氏,后将关白职务让与养子丰臣秀次而自称"太阁"。建立了新的封建体制:确定士农工商的身份。奖励新兴工商业,扶植城市的发展。天正十六年(1588年)颁布刀狩令,收缴民间武器,实行兵农分离,使武士集中居住于城市。宗教方面,保护佛教寺院,压制天主教的传布,迫害
日文简介
1537-1598 織豊時代の武将。
天文(てんぶん)6年生まれ。尾張(おわり)(愛知県)の足軽木下弥右衛門の子。母はなか(天瑞(てんずい)院)。織田信長に足軽としてつかえ,浅井・朝倉両氏との戦いで功をたて,天正(てんしょう)元年近江(おうみ)長浜城主となる。本能寺の変後,明智光秀,柴田勝家をやぶり,11年大坂城を築城。徳川家康を臣従させて18年(1590)全国を統一。この間関白・太政大臣となり豊臣姓を名のる。19年太閤(たいこう)。文禄(ぶんろく)元年と慶長2年の2度朝鮮に出兵するが失敗。太閤検地,刀狩りなどの新政策で兵農分離を促進し,近世封建社会の基礎を確立した。慶長3年8月18日死去。62歳。幼名は日吉丸,のち木下藤吉郎,羽柴秀吉。
【格言など】露と落ち露と消えにしわが身かななにはの事も夢のまた夢(辞世)