中文简介
藤原麻吕是不比等与妹妹五百重娘所生的儿子,约出生于持统天皇九年(695)。灵龟三年(717)元正天皇行幸美浓国时,麻吕任美浓介。改元养老后,麻吕以国司的功绩叙从五位下。养老五年(721),麻吕连升五级至从四位上
日文简介
695-737 奈良時代の公卿(くぎょう)。
持統天皇9年生まれ。藤原不比等(ふひと)の4男。母は五百重娘(いおえのいらつめ)。京家の祖。養老5年(721)左京大夫となる(京家の称はこれに由来)。従三位にすすみ,天平(てんぴょう)3年参議兼兵部卿。9年持節大使として陸奥(むつ)-出羽(でわ)連絡路をひらいた。「懐風藻」に詩5首,「万葉集」に大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)との贈答歌がある。天平9年7月13日疫病で死去。43歳。
【格言など】僕(われ)は聖代の狂生ぞ。直(ただ)に風月を以ちて情(こころ)と為し,魚鳥を翫(もてあそびもの)と為す(「懐風藻」)