中文简介
世称白河殿、染殿的藤原良房出生于延历二十三年(804)。因为嵯峨天皇的眷顾,良房于天长二年(825)出任藏人,其后历任中判事、大学头、春宫亮、左近卫少将等职,并在承和元年(834)刚满三十岁的时候便做到了从四位下参议的位置。依靠着父亲的政治力量及妹妹在宫内的作用,良房步步高升:承和二年正月升至从四位上,四月,任从三位权中纳言兼左兵卫督,同年任左中将;承和六年,又兼按察使;承和八年,由权中纳言升为中纳言。
日文简介
804-872 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
延暦(えんりゃく)23年生まれ。北家藤原冬嗣(ふゆつぐ)の次男。母は藤原美都子(みつこ)。承和(じょうわ)元年(834)参議。15年右大臣,天安元年(857)太政大臣,貞観(じょうがん)8年人臣初の摂政となる。承和の変,応天門の変で地位をかため,文徳天皇,清和天皇の外戚(がいせき)として権勢をふるった。「続日本後紀」の編修主宰者。貞観14年9月2日死去。69歳。贈正一位。通称は染殿,白河殿。諡(おくりな)は忠仁公。
【格言など】年経(ふ)れば齢は老いぬしかはあれど花をし見ればもの思ひもなし(「古今和歌集」)