中文简介
平城天皇,生于774年9月25日(宝龟5年8月15日),卒于824年8月5日(弘仁15年7月7日),是日本第51代天皇,其在位自806年4月9日(延历25年3月17日),至809年5月18日(大同4年4月1日)。平城天皇名字是小殿亲王、后改为安殿亲王,又被称为奈良帝,和风谥号是日本根子天推国高彦尊。
日文简介
774-824 平安時代前期,第51代天皇。在位806-809。
宝亀(ほうき)5年8月15日生まれ。桓武(かんむ)天皇の第1皇子。母は藤原乙牟漏(おとむろ)。参議制を廃止して,観察使をおく。在位3年で同母弟嵯峨(さが)天皇に譲位するが対立。平城京にうつり「二所朝廷」とよばれた。藤原薬子(くすこ),その兄仲成の重祚(ちょうそ)の企てにのって失敗(薬子の変),仏門にはいった。天長元年7月7日死去。51歳。墓所は楊梅陵(やまもものみささぎ)(奈良市)。別名は安殿(あて)親王,日本根子天推国高彦天皇(やまとねこあめおしくにたかひこのすめらみこと)。
【格言など】故郷(ふるさと)となりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり(「古今和歌集」)