中文简介
毛利敬亲(1819年3月5日-1871年5月17日),又名毛利庆亲,是日本江户时代末期的一位大名、明治时代初期的政治家。长州藩第13代藩主。江户末期的长州藩藩主,袭封藩主后用村田清风推行藩政改革,鼓励研究兰学,学习西方科学技术,采用西洋炮术,加强藩的军事实力。后接受藩吏长井雅乐的"航海远略"策,并主张"公武合体"。1862年在长州尊攘派首领桂小五郎和久坂玄瑞等人的要求下,放弃公武合体,确定尊王攘夷方针,次年策动天皇下诏攘夷,并率先炮击下关的外国船只,把尊攘运动推向高潮,同年八月十八日政变后,与三条实美等尊攘派公卿同被革职,1864年禁门之变后,长州藩被视为朝敌,再次遭受打击。翌年1月,高杉晋作夺取藩政后,他决心协同倒幕,1867年朝廷恢复其官职,入朝接受讨幕密诏,1869年奉还版籍后,任山口县知事,同年隐退。
日文简介
1819-1871 江戸時代後期の大名。
文政2年2月10日生まれ。毛利斉元(なりもと)の長男。天保(てんぽう)8年(1837)長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩主毛利家13代となる。村田清風を起用して藩政を改革,富国強兵策をすすめる。文久3年周防(すおう)山口に藩庁をうつす。四国艦隊下関砲撃事件,禁門の変,第1・第2次幕長戦争などの難局を人材の登用によってきりぬけ,維新の功労者となった。明治4年3月28日死去。53歳。初名は慶親。諡(おくりな)は忠正公。