中文简介
淳仁天皇(733年-765年),日本第47代天皇,自758年9月7日(天平宝字2年8月1日)至764年11月6日(天平宝字8年10月9日)在位。淳仁天皇因藤原仲麻吕的拥立而即位。在位时淳仁天皇重用藤原仲麻吕,改官名为唐式,奉太上皇孝谦天皇执行国家大事。时中国发生安史之乱,淳仁天皇欲送去牛角作为武器原料,支援大唐皇室。孝谦上皇和道镜擅权,藤原仲麻吕起兵,反遭杀身之祸。由于与藤原仲麻吕的关系,淳仁天皇被迫退位,被流放于淡路而死,史称废帝或淡路废帝。明治年间恢复天皇地位,追谥"淳仁天皇"。
日文简介
733-765 奈良時代,第47代天皇。在位758-764。
天平(てんぴょう)5年生まれ。父は舎人(とねり)親王。母は当麻山背(たいまの-やましろ)。孝謙天皇の譲位をうけ,藤原仲麻呂(なかまろ)(恵美押勝)に推されて即位。新銭(万年通宝,大平元宝,開基勝宝)をつくり,旧銭(和同開珎)と併用させた。藤原仲麻呂の乱がおきると,孝謙上皇に実権をうばわれ,天皇は廃され淡路(あわじ)に流された。天平神護元年10月23日死去。33歳。明治3年弘文・仲恭天皇とともに歴代にくわえられた。墓所は淡路陵(あわじのみささぎ)(兵庫県南淡町)。別名は大炊(おおい)王,淡路公,淡路廃帝。