中文简介
平将门(?-940年3月25日),是日本平安时代中期关东豪族、武将。桓武天皇的五代孙,镇守府将军平良持之子。又名相马小次郎。早年投于朝廷权臣藤原忠平门下。约在930年返回自己的领地下总国猿岛郡,经营私田,积聚武装。935年前后,因婚事叔侄结怨,发生冲突,杀死伯父平国香,击败叔父平良兼。939年起兵对抗朝廷,势力波及常陆、武藏、安房、相模等八国,并以下总国为根据地,自称"新皇",以石井乡为王城,设左、右大臣及八省百官,制订玉玺,震动京都朝廷。940年被平国香之子平贞盛讨伐,中箭身亡,史称"平将门之乱"
日文简介
?-940 平安時代中期の武将。
平高望(たかもち)の孫。平良将(よしまさ)(良持とも)の子。下総(しもうさ)北部を本拠地として父の遺領争いなどから一族と抗争をくりかえしていたが,伯父の平国香(くにか)を殺害して抗争は内乱へと拡大。天慶(てんぎょう)2年常陸(ひたち),下野(しもつけ),上野(こうずけ)の国府を制圧し,みずから新皇と称し関東の独立をはかったが,藤原秀郷(ひでさと)と平貞盛に攻められ,3年2月14日敗死した。
【格言など】八国より始めて,兼ねて王城を虜領せむと欲す(「将門記」)