中文简介
郑梦周(1337年-1392年),草名梦兰,9岁改名梦龙,字达可,号圃隐,谥号文史,朝鲜高丽王朝末期时政治家、外交家、哲学家、文学家,被誉为朝鲜理学之祖。庆尚北道永川人。梦周祖上皆是武官,幼年发奋学文,自学成才,高丽恭愍王王祺九年(1360年)中举,十六年(1367年)受李穑赏识,出任学官,负责讲解朱子集注。后因父亲去世,辞官守孝三年,回朝后任大司成,负责同中国明朝重建朝贡关系。
日文简介
1337-1392 高麗(こうらい)(朝鮮)の政治家,学者。
忠粛王6年生まれ。永和3=天授3年(1377)来日し,九州探題の今川了俊と倭寇(わこう)の取り締まりについて交渉した。性理学(宋学)をきわめ,東方理学の祖とよばれる。李成桂(朝鮮王朝の太祖)を王位につけようとする動きに反対したため恭譲王4年4月4日暗殺された。56歳。慶尚道出身。初名は夢蘭,のち夢竜。字(あざな)は達可。号は圃隠。