中文简介
日本长崎县人,1887年陆军士官学校毕业,后任近卫师团附,东宫武官,1901年任陆军户山学校教官,日俄战争时为步兵第34联队第一大队大队长,在1904年8月31日夜间攻击辽阳外围148高地的战斗中,身负七处重伤仍坚持指挥到死,被明治天皇追封他勋四等、功四级。
日文简介
1865-1904 明治時代の軍人。
慶応元年9月15日生まれ。東宮武官,戸山学校教官,名古屋地方幼年学校長を歴任。明治37年日露戦争に歩兵第三十四連隊大隊長として出征,8月31日遼陽(りょうよう)の会戦で戦死した。40歳。死後中佐に進級,また負傷しながらの奮戦がたたえられて軍神としてあがめられ,橘神社が創建された。肥前高来郡(長崎県)出身。陸軍士官学校卒。