中文简介
新田义贞(にった よしさだ;1301年-1338年8月17日),,幼名小太郎,正式名为源义贞。为镰仓幕府末期到南北朝时期之名将,河内源氏一族,新田氏第八代当主。曾经辅佐后醍醐天皇,灭亡镰仓幕府。但后被足利尊氏打败,自刎而死。曾任左马助、播磨守、越后守、左卫门佐、左兵卫督、正四位下左近卫中将。明治15年(1882年)赠正一位。
日文简介
1301-1338 鎌倉-南北朝時代の武将。
正安(しょうあん)3年生まれ。鎌倉を攻めて幕府をほろぼし,後醍醐(ごだいご)天皇の建武(けんむ)の新政で重用される。足利尊氏が新政権にそむくと,南朝方の中心として各地を転戦。尊氏の京都占領後,越前(えちぜん)(福井県)金ケ崎(かながさき)城にこもる。落城前に脱出して再挙をはかるが,建武5=延元3年閏(うるう)7月2日斯波高経(しば-たかつね)との藤島の戦いで討ち死にした。38歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。通称は小太郎。