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仁孝天皇(日语:にんこうてんのう,英语:Emperor Ninkō;1800年3月16日-1846年2月21日),第120代日本天皇,光格天皇第六皇子,生母为大纳言劝修寺经逸之女劝修寺婧子(东京极院)。1817年成为天皇。他沿袭光格天皇的志向,恢复朝廷仪式,尤其是恢复已断绝了近千年的汉风谥号,谥其父"光格"二字。此外,他鼓励学术研究,建立学习所(即今日的学习院)以供公家讲学。1846年过世,享年46岁,葬于后月轮陵。
日文简介
1800-1846 江戸時代後期,第120代天皇。在位1817-46。
寛政12年2月21日生まれ。光格天皇の第6皇子。母は藤原婧子(ただこ)(東京極院)。父の譲位をうけて即位。父が院政をおこなう。幕府は11代将軍徳川家斉(いえなり),12代家慶(いえよし)の時代。学問をこのみ,父の発意による公家子弟の教育機関である学習所(のちの学習院)創設に着手した。弘化(こうか)3年1月26日死去。47歳。墓所は後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)(京都市東山区)。幼称は寛(ゆたの)宮。諱(いみな)は恵仁(あやひと)。
【格言など】四方(よも)の海をさまる世とて国つ民にぎはひうたふ声もゆたけし(内裏和歌御会)