中文简介
弘文天皇是日本第39代天皇,天智天皇的长子,被称为大友皇子、伊贺皇子,母亲原为伊贺国出身的采女。弘文天皇博学多识,有文武才干,深得天智天皇宠爱。671年(天智天皇10年)12月天智天皇病故后,大友皇子控制近江京,掌握皇权。672年(弘文天皇元年)与叔父大海人皇子(天武天皇)争夺皇位,发生壬申之乱。7月在濑田川之战中失败,自缢而死。由于大海人皇子是受过天智天皇正式认可的大皇弟,同时大友皇子之母的出身不够高,因此大友皇子的天皇身份一直不被正式承认,直到1870年(明治2年)明治天皇才追谥其为弘文天皇。
日文简介
648-672 飛鳥(あすか)時代,第39代天皇。
大化(たいか)4年生まれ。天智(てんじ)天皇の第1皇子。母は伊賀宅子娘(やかこのいらつめ)。天智天皇の死後,同母弟大海人(おおあまの)皇子(天武天皇)との戦い(壬申(じんしん)の乱)に敗れ,天武天皇元年7月23日自決。25歳。「日本書紀」には立太子や即位の記述はなく,明治3年歴代にくわえられ,弘文天皇と追諡(ついし)された。墓所は長等山前陵(ながらのやまさきのみささぎ)(滋賀県大津市)。別名は大友皇子,伊賀皇子。