崇光天皇

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すこうてんのう
是什么意思

中文简介

崇光天皇,讳兴仁,其父是光严天皇,其母是阳禄门院三条秀子,身为光严院的第一皇子,兴仁乃是北朝皇统的正嫡。历应元年(1338)八月,五岁的兴仁立坊,成为北朝皇位的第一顺位继承人。

日文简介

1334-1398 南北朝時代,北朝第3代天皇。在位1348-51。
建武(けんむ)元年4月22日生まれ。光厳(こうごん)天皇の第1皇子。母は藤原秀子(陽禄門院)。光明(こうみょう)天皇のあと即位。室町幕府内で足利尊氏・直義(ただよし)兄弟があらそい,尊氏が南朝にくみして北朝の天皇,皇太子を廃した(正平(しょうへい)一統)ため,在位3年で廃位され太上天皇の尊号をうけた。光厳・光明両上皇とともに,一時南朝側に身柄をうつされたが,のち解放されて京都にもどる。明徳3年出家。応永5年1月13日死去。65歳。墓所は大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は益仁(ますひと),興仁(おきひと)。法名は勝円心。別名に伏見殿。日記に「崇光院御記」。
【格言など】鈴鹿川八十瀬の波の立居にも我が身の為の世をば祈らず(「新千載和歌集」)
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