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橘诸兄,生于684年(天武天皇十三年),卒于757年1月30日(天平胜宝九年正月初六),是奈良时代的政治家。橘诸兄是敏达天皇的后裔美努王与橘三千代之子,原名葛城王,本属皇族身份,后降下臣籍,受赐橘姓。橘诸兄官至正一位左大臣,又号井出左大臣、西院大臣。橘诸兄是光明皇后的异父兄长,初代橘氏长者。
日文简介
684-757 奈良時代の公卿(くぎょう)。
天武天皇13年生まれ。三野王(みののおう)の子。母は県犬養(あがたのいぬかいの)三千代。はじめ葛城(かつらぎ)王とよばれた。天平(てんぴょう)8年臣籍にくだる。10年右大臣となり,玄昉(げんぼう),吉備真備(きびの-まきび)らを顧問に起用,藤原広嗣(ひろつぐ)の乱をきりぬけ,恭仁(くに)京遷都,大仏建立などにあたる。のち左大臣,正一位となったが,実権は藤原仲麻呂にうつった。天平勝宝9年1月6日死去。74歳。
【格言など】降る雪の白髪(しろかみ)までに大君に仕へまつれば貴くもあるか(「万葉集」)