中文简介
美浓部亮吉(みのべ りょうきち、1904年2月5日 - 1984年12月24日),是日本的经济学者,政治家。原东京都知事。东京帝国大学毕业。父亲美浓部达吉是天皇机关有名的宪法学者,母亲多美子是当时的数学家、教育家、政治家菊池大麓的长女。1967年-1979年的12年任日本东京都知事。可以说,美浓部亮吉的政治手腕继承了其祖父菊池大麓,以及父亲美浓部达吉的优点。可是他任内过度重视福利政策,使得东京的财政状况陷入泥沼,遭到了外界的强烈批评。他给人留下的印象被称作"左派政治的伤口"。
日文简介
1904-1984 昭和時代の経済学者,政治家。
明治37年2月5日生まれ。美濃部達吉の長男。大内兵衛(ひょうえ)に師事。昭和9年法大教授となるが,人民戦線事件で退職。戦後は東京教育大教授,行政管理庁統計基準局長をつとめ,42年都知事に当選。「革新都政」を3期にない,公害対策,福祉政策をすすめたが,財政悪化にくるしんだ。55年参議院議員。昭和59年12月24日死去。80歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「都知事12年」など。